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非生産的座談会

会長、副会長、新顔こむぎ

【日記ではない】体温

 妻が料理をしています。今日の朝ごはんはそうめんだと言っていました。朝からそうめんですか。そうめんはあの見た目が良いのであって、食べてみると案外そこまで美味しいわけではないと思うんです。おかず無しでご飯を食べるような、ソース無しでパスタを食べるような。妻に頼まれたサラダをついさっき作り終わったので今は暇です。あまりに暇なので後ろから抱きついて驚かせようかとも思ったのですが、私たちはもう新婚ではないからそういうことをするのはちょっと恥ずかしいですし、何より同じことを昨日やってすでに怒られているんですよね。少しのお茶目くらい許してほしいものです。私は昔からお茶目だけが売りな人間なのですから。「もうできるよ、サラダはできた? 食べられるように準備して」ああ妻の声が好きだなあ。できればずっと聞いていたい。

 

 夫が帰ってきたのは一昨日だった。とんでもなく寒い夜だった。雪が降っていた。私は雪が嫌いだ。見ているだけで心が芯から冷えたように感じるのだ。だから雪が嫌い。本当に雪が嫌い。でもこの時は違った。私は夫を待っていたから。今か今かと玄関で落ち着きなく手を揉んでいた。何度も時計を確認した。朝にも昼にも掃除したところの埃を気にした。ぴんぽーんと間の抜けた音が家じゅうに響き、私はそっとドアを開ける。

「帰ってきたよー。おなかすいたなあ」

 お帰りなさい。

 

 妻は神経質だと思うのです。私が一言暑いと言おうものなら子供が火傷をしてしまった時の母親のように慌てます。

「そうはいっても心配なものは心配なのよ。できるだけ一緒にいたいじゃない」

「別に熱中症で死ぬわけでもあるまいし、放っておいていいんだよ。私もいい大人だからね、自分の管理くらい自分でできるさ」

「そうはいっても」

 妻は心配性だとも思います。のんきにそうめんを食べる私を見過ぎるあまり、さっきから自分の箸が全く動いていません。おういと声をかけ肩に触れると、さっと顔を青くして私をにらみます。

「触っちゃダメだって」

「あ、ごめんごめん」

「気を付けてよね。言っているでしょう、できるだけ一緒にいたいのよ」

「それは私もだよ。気を付けるね」

 

 その日の昼頃、一昨日の夜からうっすら積もっていた雪が溶けるのと一緒に夫も消えた。それははじめから分かっていたことだし、だからどうしようもないことなんだけど。だけど。

 この辺りではその年に死んだ者が、その冬の初めて雪が積もった夜に、どこからともなく帰ってくる。その体は雪でできているからすぐに溶ける。彼らを迎えた者たちは必死に溶かすまいと努力をする。この寒い中暖房を入れることなく、場合によっては外で過ごす。そのせいで時々彼らに「連れて行かれる」者も出る。私もできるだけのことをやった。でも溶けた。雪は溶けるものだから仕方がない。仕方がないけど。いや、仕方がないのだ。

 夫が料理中に抱きついてきた時私は怒った。私の体温で溶けてしまうのが怖かった。あの時そんなに怖がったりせず抱きしめ返していればよかった。 彼の体の冷たさを私はもう覚えていない。